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教育社会学⑥ウィリス『ハマータウンの野郎ども』(1977、邦訳1996)

こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!



今回はポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』をご紹介します。『教育の社会学』(有斐閣アルマ、2010年)の参考文献からとりあげました。


ポール・ウィリスは20世紀後半から現代にかけて活躍するイギリス人社会学者です。手法としては統計分析ではなくフィールドワークを重視しています。特に主流の文化ではない対抗文化(パンク文化、暴走族文化など)を研究しているようです。


「なぜ労働者階級の子供たちは 、"自ら進んで" 労働者の世界に適応していくのか?」の一つとなっています。このテーマを扱う文章には必ずと言っていいほどウィリスの本書は引用されているため、 重要文献なのだと思います。


【概要】

 

1. 本書の問い

 

「文化的再生産」論は大まかにいえば、

「親の階級が子どもに引き継がれるため、下層階級から抜け出せず、社会構造が固定化する」という議論であり、その中でしばしば下層階級(労働者階級)は「被害者」として描かれます。


しかしウィリスの視点は少し違い、

「なぜ労働者階級の子供たちは 、 "自ら進んで" 労働者の世界に適応していくのか?」と問うています。


つまり、受動態的に労働者階級に閉じ込められる存在として労働者を描くのではなく、

能動態的に自らを労働者階級として捉えていく存在として労働者を分析するわけです。


本書の原題が "Learning to Labour" となっているのも、このウィリスの問題意識を反映してのことです。


2.本書の構成

 

本書は

(1)イギリス中部にある「ハマータウン男子校」(仮名)というセカンダリースクール(中等学校の一種)に通う12人の男子生徒へのインタビュー

(2)インタビューを元にしたウィリスの理論的分析


の二部に分かれています。



ポール・ウィリス(1950-)



(1)でインタビューをされるどの生徒も労働者階級の出身で、スラングで「野郎ども(Lads)」と呼ばれる子供たちです。「野郎ども」は、主流の学校文化(勤勉・秩序・学問を重んじる文化)に対抗する「反学校文化」の中に身を置いている存在として描かれます。


そして、12名の「野郎ども」の中心人物であるジョウイが

「今のおれたちのやりかたが、むしょうに気に入っているんだな。とにかく好きなんだ」と語るように、学校を含む権威に反する自分たちの生き方を肯定的に捉えているようです。



3.学校文化とは

 

では、12名の「野郎ども」が対抗しているところの「学校文化」とはどのようなものでしょうか。

いろいろな説明があったのですが、


「知識の伝達と服従の等価交換」


というウィリスの表現がシンプルで本質的なのかと思います。


つまり学校教師は、「正しい唯一の知識」の所有者として生徒に対面し、

生徒が敬意をもって教師に服従することの見返りとして知識を伝達するという存在です。

(ウィリスは、児童中心主義的なわゆる「進歩主義的教育」にもこの学校文化は根付いていると指摘しています)


これは日本人の私たちでも容易に理解ができるかと思います。



4.反学校文化とは

 

さて、以上のような学校文化に対抗する「反学校文化」とはどのようなものか。

筆者(ウィリス)と「野郎ども」の一員、ファズの会話を見てみましょう。


ウィリス「きみたちがノートを取るような授業といえば最近ではどんなものがあった?」

(中略)

ファズ「そうだなあ、おれが何か書いた最後は就職指導の時間だよ。かみっきれに『イエス』とだけ書いたけど、ありゃどうにも残念だったね。」

ウィリス「何がそんなに残念だったの?」

ファズ「とにかく書いたことさ。何も書かないで今学期を通してやろうって、おれ決めてたんだ。」




本書のスペイン語版のカバー写真です。

「野郎ども」のイメージが湧くかもしれません。



本書ではこういった会話例が数え切れないほど出てきますが、それらをみていくと「反学校文化」には以下のような特徴があることがわかります。


・教師を含む権威者への服従を如何にかいくぐるかを重視する

・教科書の知識の価値を認めず、実際の労働や経験のみに価値を見出す

・暴力や性の放埒さ、脱法する勇気など、学校ではタブーとされる事柄で人物の評価が決まる


上記のファズの発言にもこのような特徴が見られますね。

イギリスほど階級が明確に分かれていない日本でも、以上のような特徴を持つ文化は想像ができるのではないでしょうか。


5.反学校文化の再生産

 

最後に、これが本書のポイントだとおもうのですが、上記のような文化が如何に再生産されるのでしょうか。


簡単に言えば、「学校に服従することとは異なるアイデンティティを、労働者の共同体の中で身につけていく」ことによってです。


「野郎ども」の親は当然労働者階級ですが、家に出入りする親の知人や、「野郎ども」の遊び場にいる大人たちも全て労働者階級出身です。そのようないわば「労働者の共同体」の中で「野郎ども」は成長していくのです。


その中で大人から


・工場長という権威者への服従をかいくぐることの価値が伝えられ

・如何に学校の知識が役に立たないかをたたきこまれ

・暴力や性の放埒さ、脱法する勇気などで労働者の中の序列が決まっていることが教えられる


のです。


学校文化に馴染めない生徒たちにとって、このような世界の見方はとても斬新かつ刺激的なものに写ります。この文化に親近感を持った生徒たちは、学校とは全く異なるルールをもつ「労働者の共同体」の中で自らが認められ、大人として社会に参加していく中で自らを肯定し、新しいアイデンティティを獲得していくのです。



『ハマータウンの野郎ども』





【塾の文脈での読直し】

 

さて、現代日本とは、場所も時代も違う対象を扱った本書の内容を、

塾という文脈でどのように活かすことができるでしょうか?


もちろんエリクソンの記事で取り上げた「アイデンティティ」の議論や、

何度も取り上げた文化的再生産の議論などと組み合わせて理解を深めることもできるかと思います。


しかしそれはこれまでも取り上げてきた事柄であるため、

今回は


「生徒を取り巻く人間関係を知ることで生徒理解を深める」


という点に絞ってみようかと思います。





これまで、日々生徒と接する中で

「この生徒はどのような子なのだろうか?」と考えてきました。


しかし、その中で「その生徒そのもの」のみに主に注目をして、

「その生徒を取り巻く人間関係、そしてそこで生まれてくる集団的な文化」はやや看過してきたように思えます。


塾以外の、学校・家族という共同体でどのような文化に囲まれているのか、

学校と家族以外に別の共同体に属しているのか。


ウィリスの描き出す「野郎ども」がそうであるように、

生徒たちを取り巻く集団的な文化を知らなければ、生徒の「世界の見方」を掴むことができないように思えます。


もちろん、ウィリスの時代のイギリスのように「労働者の反学校文化」といった、ある種わかりやすい文化は現代日本にはないのかもしれません。一人一人が異なる文化に接しているともいえるかもしれません。


しかしそれだからこそ、各々の生徒を取り巻く文化や価値観を見ていかなければいけないのではないでしょうか。


そう考えると、これまでは何も考えずに思いついた質問を生徒にしていましたが、意識的に


・親の学歴

・親の職業

・引越し経験

・習い事

・部活

・好きなものとそのきっかけ

・友達関係

・恩師

・好きなインフルエンサー



といった事柄を聞くことで、生徒の全体像が見えてくるのかもしれません。




入会時説明面談や生徒面談で、

「生徒/保護者の価値観を理解する」ことを漠然とした目標にしてきましたが、

今後は明確に狙いを決め、質問をしていきたいと思います。




東京出身で東京で生徒たちを教えている身からすると、

まだまだ触れてきた文化が少ないと感じます。


自ら異文化に身を浸すことにもチャレンジしていきたいと思います。

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