こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!
今回はアルバート・バンデューラ『人間行動の形成と自己制御』をとりあげます。『やさしい教育心理学』(有斐閣アルマ、2012年)の参考文献からとりあげました。
【概要】
バンデューラは1925年生まれのカナダ人心理学者で、当時隆盛していた「行動主義心理学」に対して大きな批判を加え、「社会的学習理論」という一大分野を築き上げた人物です。
学術雑誌や教科書での引用数などをもとに作成された「20世紀の著名な心理学者」(2002年)というランキングでは、スキナー、ピアジェ、フロイトに次いで第4位を占めました。
1.「行動主義心理学」の特徴
「行動主義心理学」も「社会的学習理論」もいずれも
「なぜ人はAという行動をとるのか?」という問い、
つまり行動選択の原因に関して、心理的に説明する理論です。
では、この2つは何が違うのでしょうか。
まず、バンデューラが批判した「行動主義心理学」にはどんな特徴があるのでしょうか。バンデューラの議論に関わる範囲で特徴を抽出すると、
「行動選択の原因として直接経験学習にのみ注目する」
という特徴が挙げられるかと思います。
行動主義では
・人がある行動をしつづけるのは、過去に実際にその行動を自らしてみた結果、良い報酬が得られたためである
・逆に人がある行動をおこなわないのは、過去に実際にその行動を自らしてみた結果、
罰が与えられたためである
という説明をするのです。
(「オペラント条件付け」や「古典的条件づけ」など、教育心理学の本によく出てくるものが上記の行動主義理論の中心だそうです)
バラス・スキナー(1904年3月20日 - 1990年8月18日)
行動主義心理学の大ボスです。
例えば、勉強をするのは、勉強をしたらご褒美がもらえたから、みたいな感じですね。逆に、外で大声をださないのは、出したら怒られるから、というのも行動主義的です。
2.「社会的学習理論」の特徴
これに対してバンデューラが唱えた「社会的学習理論」にはどんな特徴があるのでしょうか。行動主義と対比した形で述べるならば
「行動選択の原因として、他人についての行動観察に注目する」
という特徴かと思います。
つまり、行動主義が前提にするように「自分でやってみて初めて学習する」のではなく「他人をみて学習する」点を強調するのです。
例えば、外で大声を出さないのは、自分の兄が過去に大声を出して怒られていたから、という感じです。
バンデューラは
「もし人間が直接経験学習しかしないのであれば、人間はもっと早く滅んでいる。自分で全てのリスクを経験しなければ学ばないより、他人の人が経験したリスクを観察で学べるからこそ、人間はリスクを犯さずに生き残ってきた」
と言います。
学習の仕方ひとつが、人間という種の存亡に関わる気がしてきますし、
行動主義的に考えるのは、やや視野が狭いなと思わされます。
アルバート・バンデューラ(1925年12月4日 - 2021年7月26日)
3.モデリング学習
バンデューラの議論の中では、「他人を見て学習する」ことが強調されていますが、この「他人」を「モデル」と呼んでおり、「他人を見て学習すること」を「モデリング学習」と呼んでいます。
人間は他人をモデルにして、
・新しい行動パターンを観察して頭にインプットしたり
・ある行動パターンを抑制したり、
・ある行動パターンを模倣したりします。
【塾という文脈での読直し】
さて、心理学史の中で輝かしい位置を占めるバンデューラですが、どのようにこの議論を塾で生かせるでしょうか。
2つの視点から考えてみたいと思います。
1.自由主義的教育の盲点
このブログでも何度も取りげた「自由主義的教育」(子供の自主性に委ねた教育)には盲点があることがわかります。
まず、直接経験学習は自由主義的教育と相性が良いと思います。
自分で選び、経験し、そこから学習をしていく。
その学習に委ね、子供の自由にさせる。
しかし社会的学習理論によれば、
子供は自分が目にした他人をモデルにして学習している側面もあります。
目の前の人の行動をみて、それに対する周りの評価などをみて、
ある行動パターンを習得していくのです。
しかしここで思うのですが、
子供は自分が目にする他人を自由に選べるでしょうか。
自分の親、学校の先生、友達、兄弟、そして塾の先生。
そういった他人を自由に選ぶことは不可能です。
しかし、自由に選んでいない他人から子供は常に学習をしてしまいます。
自分で意識的に学習していなくても、無意識で学習をしているのでしょう。
この点を認識しないということは、
子供がどのようなインプットをこれまでしてきたかを無視する、
歴史を無視することになります。
歴史を無視して「自由に」学ばせても、思うような結果にはならないでしょう。
アルバート・バンデューラ『人間行動の形成と自己制御』
2.子供のモデルを認識する
そういった意味では、我々が学習塾で子供を目の前にする時、
「この子供は誰を/何をモデルにしてきたのか?」
と問うことは非常に重要になります。
モデルは親かもしれないし、兄弟かもしれないし、友達かもしれません。
おそらく本人はモデリングを意識していないのでしょう。
しかし直接経験だけではなく社会的学習によっても子供の行動が規定されていると考えると、モデルを考えることで子供をよりよく理解できるのだと思います。
今回、この本を読み、子供に対する視野が広がった気がします。
もちろんこれまでも、子供がモデルとする人物を通じて、子供への理解を深めたことはありましたが、その方法をより意識的に使えるように感じました。
それと同時に、「では自分は何をモデルにしてきたのだろう?」
と自省を迫られることにもなりました。
常に他人と生きていく人間として、
この視点は捨てずに持っておこう、そう思わされました。
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