こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!
今回はジャン・ピアジェ『新しい児童心理学』をとりあげます。『やさしい教育心理学』(有斐閣アルマ、2012年)の参考文献からとりあげました。
【概要】
ピアジェはスイス出身の発達心理学者で、
誕生から青年期までにいたる、「認知や情意の発達」を研究していました。
本書はピアジェの50年にわたる研究の要約的な位置づけとして書かれた本です。
短いながらも(邦訳160p)だからこそ情報が凝縮されすぎていて、読みこなすのが大変な内容でした。
1.ピアジェのテーマ:認知と情意
冒頭に、「認知や情意の発達」がピアジェの研究テーマであると述べましたが、
そもそも「認知」や「情意」とは何でしょうか。
ものすごく大雑把にいうと、
認知とは「モノや概念を認識する」ことで、
情意とは「気持ち」のことです。
我々人間は、この世に生まれ落ちた時には、自分が何十億人もの人間のうちの一人であるというように認知をしていませんし、それどころか、自分に寄り添う母親と自分が別々の存在であるということも認知していません。また、母親への感謝という情意も当然には生じません。
このような原初的な状態から、見知らぬ何十億人もの人間を思い浮かべ、自分をその中の一人として相対化し、見知らぬ他者への感情移入をすることができる状態へと発達をしていきます。
この奇跡のような認知の発達がどのように可能なのか。ピアジェはそのように問います。
ジャン・ピアジェ(1896年8月9日 - 1980年9月16日)
2.ピアジェのキーワード:シェマ・同化・調節
この問いを扱うにあたって、ピアジェの重要なキーワードは
「シェマ(Schema=図式)」「同化」「調節」です。
この三つが連動して、認知が発達していく、とピアジェは考えます。
簡単にいうと、
「もともと持っていた行動や認識の構造(もののみかた=シェマ)」によって、自分から自分とは異なる色々な物や人にはたらきかけ、「これはこういうこと、と理解していく」(同化)が、これまでのシェマでとらえきれないモノや人が出てきたら、「シェマの内容をアップデートして理解を広げていく(調節)」
ということです。
言われてみれば当たり前のことです。
例えば乳児のころ、「母乳を吸う」という、哺乳類に予めインプットされた行動パターン=シェマがあるとすると、時間を経るとそのシェマは「親指を吸う」という別の行動に適用され(同化)、さらに時間を経ると、周りの人間の教育のおかげで「飲み物や食べ物以外は吸わない」というふうに「調節」されていきます。このように人間の認識(シェマ)が同化と調節を経て発達していくことになります。
そして乳児以降の認知の発達についても、同じことを当てはめられます。
個人的な例になってしまいますが、小学校中学年のころ、「ガストとバーミヤンどっちがいいか、はたまたジョナサンは?」ということをある友達と話していました。
ああでもないこうでもないといっている時、横で別の友達が「ま、おなじ”すかいらーく”だよね」といったとき、衝撃を受けたのを覚えています(笑)それまで「すかいらーく」はガストなどとは全く関係のない別のファミレスだと思っていたのです。
「ファミレスはすべて別々に経営している」というそれまでのシェマをもとに三つのファミレスを比べていたのに、「すかいらーくグループの系列としてのガストなどのファミレス」というという新しい認識構造を差し込まれたからです。ここでは自分のシェマに「調節」がおこったということになります。
このような卑近な例はいくらでもあると思いますが、いずれにせよ、
人生のどの段階にあっても、「シェマ」「同化」「調節」を通じて、
認知をアップデートしていくのが人間である、ということだと思います。
3. 知能の発達段階
上では乳児と小学校中学年の例を見ましたが、ピアジェは生誕から青年期(15歳ごろ)までの包括的な認知発達段階を記述しています。以下にその各段階を簡単にまとめておきます。
感覚運動期(生誕〜1歳半):生物学的な欲求(例えば空腹)に応えるために、目の前の事物・他人に対して様々な活動をしていく中で、体の動かし方・自他の区別・基本的な物理法則などを認知していく段階
前操作期(約2〜7歳):心の中の想像や言語などを用いて、「目の前に無いもの」の想起したうえで活動をできる。しかし自己の視点と他人の視点を混同しており、論理的でもない段階
具体的操作期(約7歳〜11歳):目の前になかったとしても具体的な事物であれば、論理的な操作を頭の中で行えたり(例:AさんとBさんの身長を見比べたあと、BさんとCさんの身長を見比べ、最終的に三人の身長の順序を述べられる)、他人の視点を取り入れたりすることができる(例:他人から見た景色を描画できる)
形式的操作期(約12歳〜15歳):より抽象的なルールを取り入れ、適用することができる(例:ある仮説を検証するために対照実験を行える)
ジャン・ピアジェ『新しい児童心理学』
【塾の文脈での読直し】
多くの学習塾では、ピアジェのいう「具体的操作期」の生徒から、「形式的操作期」の生徒が主な指導対象となってくると思います。
上記を踏まえ、以下の2点が重要になってくるのだと思います。
1. 教授法の改善ー学習指導と「同化」
しばしば「生徒の既習事項と未習事項を関連づけて教える」という教授法が推奨されると思います。生徒に対して、「ここまでは知っているけど、ここからが新しいことだ」と明確にするということです。そのためには「既習事項は何か」を常に意識しておく必要があります。
もちろんこれはこれで必須の教授法だと思いますが、
ピアジェの「シェマ」をふまえると、「既習事項は何か」という知識レベルの話ではなく、「この子はそもそもどのように事物を見ているか」といった認識構造(シェマ)までまで深く考えておかなければいけないことがわかります。つまり教えるとき、「生徒はどのように世界をみているのか」を考え、そのシェマに新しい知識を「同化」したり、生徒のシェマを「調節」したりしないといけないということになります。
例えば先週、この本を読んでいる時期に、おさなげの残る小6の生徒の歴史の授業にて、「財閥」を説明する機会がありました。生徒が知っている世界の事柄(シェマ)に置き換えて説明しないと理解が進まないとと考えたため、「小学校での物の貸し借り」から掘り起こして、「お返し」と「利子」を対応させ、最終的に財閥における銀行の中心的役割の説明までつなげてみました。ピアジェ先生のパワーにより、いつもよりうまく説明ができたような気がします(家に帰ってからお母さんに説明できたそうなので多分大丈夫だと思います)。
この中で、「貸し借り」というシェマに銀行が同化されながらも、「貸し借りに利子が伴うことがある」「利子などの利益を利用することで、貸し手が借り手の上に立つものがうまれる」というふうにシェマが「調節」されたのかもしれません。
このように、「生徒が知らないこと」を教えるときに、「生徒が知っていること」との構造的な類似性を示すことで、シェマに沿った指導ができるのだと思います。
2. 勉強と将来の夢をつなげる:認知から情意へ
【概要】の箇所で、認知と情意の区別をしましたが、その後の記述は主に「認知」についてでした。
認知はいわゆる「勉強」と重なり合う部分が大きいので、ピアジェの議論は上記の教授法のように学習指導に適用できますが、ピアジェは本書で「認知」と同じぐらい「情意」も強調しています。
この視点は、勉強と将来の夢をつなげる際に、重要なのではないかと思いました。
ピアジェは形式的操作期(情意に注目して言い換えれば「思春期」ですが)における、情意と認知の関係性を述べていました。
思春期=青年期の情意といえば、前回とりあげたエリクソン の「アイデンティティ」形成が思い浮かべられますが、ピアジェによればアイデンティティ形成の前提に認知的発達があります。つまり、形式的操作期に入らなければ、アイデンティティ形成に必要な情意的思考(「他人と〜という点で違う自分が好きだ」/「社会は〜〜のようになっていて、自分は将来・・をしたら〇〇という気持ちになるはずだ」など)は生まれてきにくいと述べるのです。
経験上、ピアジェの分析に完全に同意できるわけではありませんが、
生徒たちのシェマに社会についての新しい情報を同化し、シェマを調節していく中で、
生徒たちが将来の夢についておぼろげながら考え始めることはあったかなあと思い返しながら本書を読んでいました。
勉強と将来の夢を切り離して教えてしまいがちですが、
このように考えると、二つは密接につながっていると考えられるのだと思います。
冒頭にも書いたように、本書は非常に情報が凝縮されていました。
理解できていない点も多々あるため、本書を読み返しながら、
ピアジェの別の著書や、ピアジェについての研究書なども
読んでいきたいな!と思いました。
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