こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!
今回はジェローム・シーモア・ブルーナー『教育の過程』をとりあげます。『やさしい教育心理学』(有斐閣アルマ、2012年)の参考文献からとりあげました。
【概要】
ブルーナーは1915年生まれのアメリカの心理学者で、現在まで心理学において影響力を及ぼしている「認知心理学」という分野の第一人者です。さらには、認知心理学を教育に適用し、「発見学習」の生みの親としても知られている人物です。
さていきなりですが、「勉強ってなんの役に立つの?」と問われたら、どのように答えるでしょうか。
もちろん状況によって無数に答え方はありますが、
教育に携わる者であれば幾度となく直面する問いであると思います。
いくら学校の知識を頭に入れても現実世界で役に立たない。知識よりも経験だ。
そのような批判は至る所で見られます。
ブルーナーはこの疑問に対して、一つの答えを提示してくれているように見えます。
1. 本書の背景
とはいえ本書は、ブルーナーが自らの研究成果を詰め込んだ成果としては書かれていません。体裁としては、全米科学アカデミーが開催した「ウッヅ・ホール会議」という、教育カリキュラム(教育過程)についての討議会の報告書として書かれています。同会議は主に理系の学問分野から第一線の専門家を招き、アメリカのカリキュラムを改善する目的で1959年に開催され、ブルーナーは議長として報告書の作成を担いました。
この会議の目的はなにか?それは、非常に政治的なものでした。
当時のアメリカは、冷戦下でソ連の科学技術の発展スピードに対して危機感を覚えていており(象徴的な例として、1957年のスプートニクショック)、科学者の育成が目下の課題として考えられていたそうです。その中で、いわゆる「経験主義的教育」(「知識よりも経験が大事」という教育観)が幅をきかせていたアメリカにおいて、「ウッヅ・ホール会議」は経験主義批判の先鋒として位置付けられていました。
子供達の学問的水準をどのように引き上げていくか。学校の勉強はどのようにしたら実のあるものになるのか。
その答えのエッセンスとしてブルーナー議長が報告書の中で挙げたのが、「構造」「発見」「レディネス」「螺旋型教育」でした。(以下では、報告書の内容をまとめますが、便宜上ブルーナーを主語として書きます。また「 」を使って書きますが、正確な引用ではなく井口による要約です。)
ジェローム・シーモア・ブルーナー(1915年10月1日 - 2016年6月5日)
2. 構造
ブルーナーは、子供達の学問的水準を引き上げていくためには
「科目・単元の細かい知識ではなく、その科目・単元に通底する基本的な考え方・観念を教えるべきだ」といいます。この「基本的な考え方・観念」は「構造」と言い換えられます。
例えばブルーナーは以下のような説明を行います。
○まず生徒に、紙の上にのった尺取虫を見せる。そして、「尺取虫が紙の上をまっすぐに歩いているところ、紙の一端を持ち上げて坂道を作った時に、尺取虫は自然に角度を変えて歩くようになる。坂道の角度を変えると、尺取虫が歩く角度も変わる」ことを生徒に観察させる
○続いて話題を変え、「イナゴが群れをなして飛び立つとき、その群の密度は気温によって規定される」ことを教える
○また別の話題で、「昆虫は生存に望ましい酸素濃度が種によって異なるため、山地では標高ごとに異なる種類の昆虫が存在しており、異種間混交は起きない」ことを教える
これにより生徒は、「生物は外界の刺激に応答して移動する性質をもつ」ということがわかります。ちなみにこの性質を生物学で「走性」というそうです。
尺取虫もイナゴも山地の昆虫も、あくまでこの「走性」という一般的法則(構造)の一例に過ぎないということです。
3. 発見
ブルーナーは以上のような「構造」の教授においては、一方的な知識の伝達は良くないと考えています。
「子供達には、学者が新事実を発見するときのような興奮を味合わせなければいけない。そのためには、子供達自らが、新事実を発見をするように促さなければいけない」ということです。
例えば
「都市がどの場所に成立するかは、自然環境に規定される」という「構造」を教える場合をとってみましょう。ブルーナーは、教師の口から「Xという自然環境があれば、Aという性格の都市が形成されるのだよ」と一方的に子供に教えることには否定的です。
そうではなくむしろ、ある地域の自然環境についての知識(例えば河川や鉱山などの分布のみが記載された地図)のみを子供達に与え、
「どこに主要都市が形成されるだろうか?」と問いを教師が立て、子供達に考えさせる方法が推奨されます。
4. レディネス
レディネスとは発達段階のことで、ピアジェを想起させる言葉です。
ブルーナーは本書の中で繰り返し、「どの科目であっても、その基礎(つまり「構造」)は、低次の発達段階の子供達に対してでも教えることができる」と述べています。
誤解を恐れずに具体例を出せば、「微積分を6歳児に教えることができる」ということです。
これは、以前取り上げたピアジェの見解とは大いに異なるものです。
ピアジェの議論は簡単に言えば「子供は発達段階によってわかることとわからないことがある」というものでした。そのためピアジェは端的に、「微積分は6歳児には教えられない」と結論づけるでしょう。
ジャン・ピアジェ(1896年8月9日 - 1980年9月16日)
ブルーナーはピアジェの議論を下敷きにしながらも、それをさらに発展させようと考えているようです。
とはいってもブルーナーはさすがに慎重で、
「微積分の計算を6歳児にさせるのではなく、微積分にまつわる基礎的な観念(構造)を教えることができる。例えば、極限の概念は教えることができる」と述べています。
そして、「その構造を教えるためには、子供達の発達段階(レディネス)に合った伝え方に翻訳をする必要がある」と述べています。
ピアジェとの共通点・相違点をまとめると以下のようになるかと思います。
○共通点:発達段階はたしかに大事で、発達段階によって伝え方を変えなければいけない
○相違点:しかし、低次の発達段階であっても、多くの基礎的観念(構造)は伝え方の工夫次第で教えることができる
5. 螺旋的教育
低学年の子供達に伝え方を工夫して「構造」を教えたとしましょう。
ブルーナーは、「子供達の学年がさらに上がった時に、また別の形で同じ『構造』に出合うようにカリキュラムを組むべき」だと述べます。そして学年が上がっているので、伝え方はまたレディネスに応じて変わってくるといいます。
つまり、螺旋階段を上がるように同じテーマに遭遇し、その度に別々の方法で「構造」を頭に入れていくということです。
このようにして「構造」を把握することで
(1)その科目の知識が理解しやすくなる
(2)その科目の知識が記憶しやすくなる
(3)教科書の外で起きる事象に関しても、「構造」を適用できる
(4)高等教育(大学)に入った後に学ぶ、学問の最先端にスムーズについていくことができる
と述べます。
ジェローム・シーモア・ブルーナー『教育の過程』
【塾という文脈での読直し】
さて、ブルーナーの議論はどのように活かすことができるでしょうか。
「ウッヅ・ホール会議」に参加した学者の文理構成や、当時のアメリカの時代状況、会議の政治性など様々な条件があり、そのまま適用することはできないかとは思います。
ただ、「授業の導入」や「授業の締め」を考える上で、非常に参考になるのではないかと思いました。
方針的に書けば
授業を組み立てる際に、
「その科目・単元を教える上で、頭に入れてもらいたい基本的な考え方(構造)は何か」
「どのような考え方を知れば、細かい知識も頭に入りやすいようになるか」
を常に考える
ということです。
恥ずかしながら、数年前私が担当した中学歴史の授業を例にとってみます。
中学受験歴史にしても中学歴史にしても、通史を教える際に
「豪族の時代→天皇の時代→貴族の時代→武士の時代・・」という風に、時代ごとに主要階級を分けて説明をするかと思います。
数年前の授業で私は、そのことを説明する際に
「権力の資源は時代によって変わっていく」
というようなことを伝えようと、未熟ながら腐心した記憶があります。
大雑把に言えば以下のような伝え方だったと思います。
○まず、中学校で憧れの男子や女子は、スポーツできる子、顔がいい子、などいろいろな要素がある。
○このような「魅力」は年齢によって変わっていく。小学校の時は喧嘩が強くて足速いとモテても、就職面接で「喧嘩が強くて足が速いです」はアピールにならない。
○このように他人を動かすための「魅力」は時や場所によって変わっていく
○この「魅力」は他人を動かせるから「権力」でもある。そして日本の歴史においても、「権力」がどこから生まれてくるか(権力の資源)は時代によって変わっていた。
○普通に考えると、武士が貴族に従うのは納得がいかない。喧嘩すれば武士が勝てるのだから。つまり喧嘩の強さが権力の資源ではない時期があったということだ。
○ではなぜ権力の資源が時代を経るごとに入れ替わっていくのか?それをこの授業ではみていく。
今から思い返すとわかりにくく、歴史観もいまいちではあるのですが、
やろうとしていたことは、ブルーナーのいう「『構造』の教授」なのかもしれません。
「君たちが中学生である今の時期の価値観も、絶対のものではなく、すぐに変わってしまうのだよ」というような説教めいたことも言いたかったのかも知れません。
もちろん、昨今では発見学習・体験学習について新しい教育手法が多く開発され、
書店には教師向けの指南本が多く見られます。
そういった本にはすぐに使える発問集や導入例が山ほど記載されています。
しかしブルーナーが「発見学習の父」だけあって、
本書は一読の価値があるのかとおもいます。本書を読むと、昨今の教育手法まで引き継がれる教授法のエッセンスを感じることができると思います。
生徒たちに科目の「構造」を教え、発見の興奮を覚えさせるような授業を心がけていきたいと改めて思わされました。
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