こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!
今回はフィリップ・アリエス『<子供>の誕生』をとりあげます。
『教育思想史』(有斐閣アルマ、2009年)の参考文献から選びました。
【概要】
本ブログ始まって1年以上が経過しましたが、
アリエスは初の、2回目に取り上げる著者になります。
以前の記事では『<教育>の誕生』を取り上げましたが、
今回はアリエスの本家本元であるところの『<子供>の誕生』を見ていきたいと思います。
1. 教育を考える前提
私たちは「教育」、特に未成年に対する教育を考えるとき、
ある前提を置いて考えることがあると思います。
例えば、
・主な教育は学校によって施される
・子供は無垢であり、子供に対して知識を与え可能性を広げていかなくてはならない
・親は子供に対して愛情をもっている
・産まれてから大人になるまで(社会に出るまで)の準備期間として子供時代がある
などなどです。
前提をおいて考えるということは、
こういった前提がさしあたり不変のものとして考えるということになります。
しかし、これらの前提は不変なのでしょうか。
アリエスの議論に従えば、全く不変ではなく、
ここ数百年で形成されたに過ぎない考えです。
人間の文明が農耕の開始から始まったとすると、1万年ほどの歴史がありますが、
最近のたった数百年でしか妥当していない考えだということになります。
もしそうだとすると、我々が本質を押さえながら教育を考えようとする際に、
このようなある種人工的な前提を意識することが大事だということになります。
フィリップ・アリエス(1914年7月21日 - 1984年2月8日)
2. 「子供」の誕生
アリエスはこの本を通じて、フランスをはじめとするヨーロッパの事例をとりあげ、「中世から近代にかけて、子供に対する捉え方が大きく変化した」ということを示してくれます。ここでいう「近代」というのが、上で述べた「最近のたった数百年」のことです。
では、中世から近代にかけて、どのように変化が生じたのでしょうか。
アリエスによれば、それはずばり「子供」という概念が誕生したことだといいます。
(そのため、本書のタイトルの<子供>は、概念としての子供、ということになります)
2-1. 中世①:幼児からすぐ大人へ
中世(15世紀ごろまで)のヨーロッパでは、「幼児」と「大人」の間の段階として「子供」という段階が想定されていませんでした。身体的に他人に依存しなくてよい年になれば(つまり幼児でなくなれば)、すぐに大人の世界に放り込まれたのです。子供としてモラトリアムを過ごす暇がないのです。
具体的には、「幼児」から身体的に成熟した人間は、徒弟制のもとですぐに「大人」と同じ場所で暮らし、「大人」と同じ活動(つまり仕事)に従事していきます。(徒弟制については、レイヴ・ウェンガーの記事でもありました)
現在「子供」と呼ばれる人間は、中世では「身体が小さな大人」として扱われていたということになります。
2-2. 中世②:「身体が小さな大人」はどう見られていたか
上記のように扱われていた「身体が小さな大人」に対して、「子供はかわいい」といった愛情が表立って表明されることはありませんでした。また若年死亡率が高い中世社会では、発育途上で死亡することが特別なことだと思われていませんでした。
一人一人産み落とした子を大事に育てるというより、ある種「数うちゃ当たる」的にたくさん子を産み、生き残って家計を支えてくれたらラッキー、という考えが一般的でした。
2-3. 近代①:「子供」の誕生
このような中世の捉え方が、16~17世紀ごろ、すなわち近代に入っていくと次第に変化していきます。「幼児」期を過ごした人間はすぐに徒弟制に従事するのではなく、学校に行くようになります。それにより、「学校に行っている人間=子供」というふうに、「幼児」「大人」と別の期間として子供期が誕生するようになります。
2-4. 近代②:「子供」はどう見られていたか
学校によって社会から子供の居場所を隔離する中で、子供は可愛がられるようになり、親は教育に熱を出すようになります。子供の数を抑え、一人一人を大事に育て、面倒を丁寧に見るようになっていきます。
フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』
3. 学校の成立と子供の概念
上記にあるように、子供の概念が誕生することと、学校の成立は密接につながっています。フランス(や部分的にはイギリス)において、学校が成立・発展していく中で、以下の3点の変化が引き起こされていきます。
①中世では欠如していた体系的・段階的なカリキュラムが徐々に整備される
②中世では年齢ごとに区分されていなかった学級が徐々に誕生する。
③①・②の変化を制度化するための学校規律が強化されていく
これらは一見単なる学校制度の歴史にすぎないように見えますが、
いずれも、「子供」を「大人」の社会から隔離し、大事に大事に育てていく、という近代的な意識と密接に関わっていることがわかるかと思います。
もし段階的なカリキュラムがなく、年齢ごとに学級が分かれていなかったらどうなるでしょうか。
ある教室にさまざまな年齢の人があつまり、大人と子供が区別されず、ある科目が伝えられます。翌年のクラスでは、必ずしも別の内容が教えられるわけではなく、同じ内容が重複して教えられることもあります。
いわば中世の徒弟制の職場のように、大人と子供が混合し、同じ内容の事柄に毎年従事している姿が想像できるかと思います。
近代になるにつれ、このような無秩序な学校が徐々に整備されていき、大人の世界とは分離される学校ができ、その学校の中では、無垢な子供を理性的にするための規律が強められていきます。(このあたりはフーコーの議論と重なりますね)
4. 家族意識の変化
4-1. 中世の家族意識
また、子供の概念が誕生することは、家族の在り方の変化と大きく関わっていました。
15世紀ごろまでの絵画を見ると、人々が野外で何かの活動(仕事や遊び)に従事している絵が主で、家の中での家族団欒などのような、社会から隔離された家族という描き方をした絵が多くないそうです。これは当時の社会を反映していると言います。
当時の社会では、子供を産んだとしても「幼児期」がすぎれば、徒弟制に子供を排出し、他の家に子供を預けることになります。
また、家族を社会から隔離する構造物であるはずの「家」も現在とは違っていたといいます。当時の主流の家は「大きな家」とよばれるもので、家族・奉公人・書生・事務員などが同居する家であったそうです。個室も与えられない子供は、このような家族以外の大人と同居し、その大人を訪れる外部の人間たちとの接触にさらされていました。
ある種家族と社会が密につながり、家族が社会から隔離されていない状況でした。そのため、家族の絆が強く、家族愛が大事である、という家族意識はあまり強くなかったと言います。
4-2. 近代の家族意識
しかし16世紀に入り、この時期から家族だけの肖像画がでてくることからもわかるように、家族が社会とは区別された一つの共同体として捉えられるようになっていったそうです。
中世とは異なり、子供が産まれ「幼児」期がすぎたとしても、徒弟修行で他の家にあずけることがなくなり、自分の家と学校だけで子供を囲い込むことになります。
これにともない、親子の絆が強くなり、子供を道具とみなさなくなり、兄弟間の平等もうたわれるようになりました。
中世は「大きな家」が主流でしたが、17世紀以降、家の構造的にも個室が設けられたり、家族以外が同居しなくなったりと、家族のプライバシーが守られるようになったそうです。
家族は社会から距離をとり、一つのまとまりのある共同体として、子供を中心とした家族愛のもとで暮らしていく。当時はブルジョワ階級にしか定着していなかったこのような家族意識は、18世紀以降にブルジョワ階級以外にも広がっていくことになりました。
フィリップ・アリエス『死を前にした人間』
関連書です。アリエスは、「心性史」(メンタリティの歴史)を専門としており、この本では「死」を人々がどう捉えてきたか、が書かれています。『<子供>の誕生』で、「子供」への捉え方を探求したのと並行しています。
【塾の文脈での読直し】
前回のアリエスの記事では、アリエスの議論を下敷きにしながら
「子供が大人になることの難しさ」、さらにいえば
「進路指導が難しい理由」について考察をしました。
そこでの議論とも重なるのですが、今回アリエスを読んで改めて、
近代の教育の本質の一つは「分離」「隔離」なのだと強く思わされました。
・子供を大人の世界から隔離する
・子供を年齢や習熟度別に分離する
・家族を社会から分離する
などにより、子供を大事に大事に、優しく包みながら育てることが可能になりました。
子供の人権を守り、効率的・体系的に知識を伝達することが可能になりました。
これらは「分離」「隔離」によって可能になったのだと思います。
とはいえ、「分離」「隔離」にも功だけではなく罪もあるとは思います。
・家族に過度な教育負担を押し付けること、
・学校現場が社会から隔離されて、社会とのつながりを失うこと、
・無味乾燥に知識が伝達されること
・・などです。
教育に対して我々が態度を決めること、それはこの「分離」「隔離」に対する態度を決めることとも関わっているのかもしれません。
事実、従来の学校教育に対するオルタナティブを考えるとき、
・職業体験をしてみる
・科目横断的な教育をしてみる
・地域社会を復興してみる
・「社会教育」を取り入れてみる
など、具体的な案が挙がりますが、これらは「分離」「隔離」へのオルタナティブにもなっているのだと思います。
塾として、学力を上げるのはもちろんです。合格させるのはもちろんです。
しかしその前提として、「分離」「隔離」に対する我々の態度を明確にしておく必要があるのかもしれない。そのようなことを思いました。
本書はフランスをはじめヨーロッパの事例をもとに書かれていましたので、
日本の学校史も改めて振り返ってみようと思わされました。
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