こんにちは!Freewillトータルエデュケーションの井口です!
今回はジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習ー正統的周辺参加』をとりあげます。いつも通り、『教育の社会学』(有斐閣アルマ、2010年)の参考文献からとりあげました。
【概要】
1.「学習」=「参加」
レイヴとウェンガーは本書の中で、「学習」を新しい形で捉え直すことを試みています。
「学習」という言葉で我々がイメージする活動は様々だと思いますが、例えば以下のようなものが一般的なのではないでしょうか。
・知識や技能を得る
・先生に教えてもらう
・教科書の内容を頭に入れる
などなど。
レイヴとウェンガーは「学習」を上記とは異なる視点から考えるために、徒弟制に注目します。徒弟制とは14世紀ごろのヨーロッパで成立した、いわゆる職人の世界の人間関係のことで、砕けていえば「親方」と「徒弟」(下っ端、見習い)からなる関係性のことを指します。(ちなみに、他の教育学の著作でもしばしば徒弟制が言及されているようです)
ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習ー正統的周辺参加』
徒弟的な関係性の中では、一般的な「学習」とは異なることが行われています。例えば以下のようなことです。
・知識や技能を得るというより、生活習慣や考え方、身のこなし方など身体に根付いた行動様式をそのまま身に着ける
・親方に教えてもらうのではなく、自分が親方の仕事の小さい部分を担い、仕事自体に参加をする
・仕事には教科書は存在しないため、見様見真似で親方や先輩の行っていることを実践してみて、次第に周囲に認められ大きな仕事を担っていく
レイヴとウェンガーはこのように、「共同体の一員として、最初は周辺的な位置から参加して、次第に中心に向かっていくこと」を「学習」の本質であると捉え、このような参加を「正統的周辺参加」(Legitimate Peripheral Participatoin, LPPー本書の副題でもあります)と呼びます。また、このように、「学習」は共同体という外部状況の中で常に行われるため「状況に埋め込まれた学習」(Situated Learningー本書の本題)という特徴を持っています。
例えばこれを学校でのいわゆる「学習」に置き換えると、
学校で教えられている科学的知識に基づく考え方や言葉の使い方を学び、
その知識が前提となっている「社会」という共同体に少しずつ参加していく過程が「学習」ということになります。
こう見てくると、LPPは学校などにおける学習にとどまらず、例えば会社という共同体の中での技能習得、休日に参加するサークル活動での参加などにも当てはまるため、本書の議論によって広い射程から学習を捉えることができそうです。
ジーン・レイヴ(1939年〜)
2.「学習」=「参加」と捉えることの意義
しかしとはいえ、なぜこのようにわざわざ「学習」=「参加」と捉えなおさなくてはいけないのでしょうか。それはおそらくですが、以下のような理由からです。
①「学習」のあり方を評価する軸を得られる
学習を正統的周辺参加として捉えると、「正統性」、「周辺性」、「参加性」の三拍子全て揃っていないと学習が成り立たない、ということがわかります。それにより、現在行われている学習には何が足りないかがよくわかります。例えばカリキュラムもなにもなく生徒に好き勝手やらせる教育は「参加性」はあるかもしれませんが「正統性」も「周辺性」もありません。一方、カリキュラムをただ押し付けるだけの教育には「参加性」がありません。といったような評価が可能です。
②社会の変化を描ける
「共同体のルールや文化が、新規参加者によって次第に変化していく」ということは十分にありえると思います。しかしもし、「学習」=「技能習得」という狭い観点から考えているとすると、学習が個人の中に閉じ込められてしまうので、「学習」によって共同体が変わっていく、つまり社会がよい方向に変化していくということが視野に入ってこなくなります。
※またこれは実践的によいということではありませんが、「共同体での生き方」を学ぶことが「学習」であるとすると、ブルデューのハビトゥス概念との接続ができそうで、こう言った面でもLPPは魅力的に映りました。
エティエンヌ・ウェンガー(1951年〜)
【塾の文脈での読直し】
(回数を重ねるごとに【概要】が長くなっていっている気がしますが、気にしないことにします)
さて、これは塾の文脈ではどのように読んでいけば良いのか。
個人的には、「動機付け」という観点から生かすと良いのではないか、と思いました。
結論から言えば、
「お前、勉強頑張ってるな。なんだか大人になってきたな!」「もっと勉強頑張っていけよ。そうすればもっとかっこいい大人になるぞ!」と生徒に伝えることで、良い形の動機付けができるのではないでしょうか。
具体的に見ていきます。
まずレイヴとウェンガーがいうところの「共同体」を、さしあたり「社会」ないしは「大人の世界」として捉えるとします。
徒弟制においては、徒弟が同業者の共同体の中で次第に自分が認められ、中心的なメンバーになっていく、そのような過程が描かれます。そしてこのプロセスの中で徒弟は次第に充実感を増し、「自分って周りに認められている!役に立ってる!このままやっていけばもっと中心的なメンバーになれる!」という感覚になります。 これと同じように、生徒たちが、
「自分は今、大人になっている。そして大人の一員として認められ始めてる。そしてこのまま継続していけば、立派になれる」
という感覚を持つことができれば、勉強に対する充実感や動機付けが増すのではないでしょうか。
これはいわば「アイデンティティを形成するということ」とも捉えることができると思います(現在E.エリクソンの『アイデンティティー青年と危機』の書評も準備しているので、関連してくるかと思います)
従来教育心理学における動機付け理論では、「勉強そのものが楽しい」という内発的動機付けを強調する傾向にありました。ただ上記のような考えに基づくと「勉強をしている自分が好き」「勉強をしていると新しい世界に入り、新しい自分になっている感じが好き」ということが動機付けになると考えることができます。
もちろん、上記のように勉強を通じてアイデンティティを形成できるためには
・現在の自分を肯定的に捉えられる
・大人の世界に対して肯定的に捉えられている
・勉強をすることが大人の世界への参入につながると理解している
といった諸条件が必要になると思います。
しかし、こういった諸条件を列挙できること自体に意味があるのだと思います。
この条件を満たせばよいとこちらが理解できれば、行動が決まってくるからです。
その分レイヴとウェンガーの理論の貢献は大きいのだと思います。
また次の授業でも生徒に
「あ、自分って大人の世界に足を踏み入れているのかも!」と思ってもらえるような声かけをしていきたいと思いながら本書を読むことができました!
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